仲間と共に奥多摩へ釣りに行くの巻。
「ウホッ!釣らないか」と勧誘を受け、NOと言えない日本人である小生、
恐らく20年ぶり位に竿を握ることとなったのである。
太公望なりきりセット(釣道具)を借りる際、
小栗旬(イクラ)とグレーゴル・ザムザ(うにうに虫)ではどちらが食いつくかと
聞かれ、やはり今をときめく小栗の方が食いつきがいいだろうと選択したのだが、
いざ糸を垂らしてみると、魚にはカフカファンが多いという事実が仲間らによって実証された。
ザムザ氏でニジマスを快調に吊り上げる仲間たちの一方、バブーの声さえ出ない小生とイクラ、
気持ちばかりが焦る。
だが耐えるのだ。いまは耐え忍ぶのだ。いつか大輪の花を咲かせるために忍ぶのだ。
そう思い続けた小生、ついに思いが現実になる瞬間が来た。
釣場が魚の放流をしたのだ。
またとない好機である。
「放流後は入れ食いだよ」と仲間の一人である釣り師は語った。
その言に違うことなく、次々と仲間の間に舞うニジマス。
そして、小生の手にぶるぶると伝わる手ごたえ。しなる竿。張りつめた糸。
来た。
「ナエさんについに当たりが来た」
「おお」
仲間の声が飛び交う中、今だ、と万感の思いを込め釣り上げた。
ぴちぴちと音を立てながら宙を舞う我がニジマス。
彼方より美しい弧を描いて小生の手元に手繰り寄せる。
まるで遠近法が無視されたように近づいてきた獲物。
その大きさたるや。
5cm。
(∵)
仲間全員が↑のような顔になった。
「凄いよ。ある意味」「お、おめでとう」と仲間より目を合わせない賛辞、
どこかためらいがちな祝福の嵐を受けた。
天邪鬼な小生はとても素直に喜べなく、
「大きくなれよ」とそっとリリースしてやった。
いつ竜宮城に招待されるか待ち遠しいのである。
ジャンル:日記 テーマ:ひとりごとのようなもの
2009⁄06⁄20 23:02 カテゴリー:戯言 comment(1) trackback(0)
「ウホッ!釣らないか」と勧誘を受け、NOと言えない日本人である小生、
恐らく20年ぶり位に竿を握ることとなったのである。
太公望なりきりセット(釣道具)を借りる際、
小栗旬(イクラ)とグレーゴル・ザムザ(うにうに虫)ではどちらが食いつくかと
聞かれ、やはり今をときめく小栗の方が食いつきがいいだろうと選択したのだが、
いざ糸を垂らしてみると、魚にはカフカファンが多いという事実が仲間らによって実証された。
ザムザ氏でニジマスを快調に吊り上げる仲間たちの一方、バブーの声さえ出ない小生とイクラ、
気持ちばかりが焦る。
だが耐えるのだ。いまは耐え忍ぶのだ。いつか大輪の花を咲かせるために忍ぶのだ。
そう思い続けた小生、ついに思いが現実になる瞬間が来た。
釣場が魚の放流をしたのだ。
またとない好機である。
「放流後は入れ食いだよ」と仲間の一人である釣り師は語った。
その言に違うことなく、次々と仲間の間に舞うニジマス。
そして、小生の手にぶるぶると伝わる手ごたえ。しなる竿。張りつめた糸。
来た。
「ナエさんについに当たりが来た」
「おお」
仲間の声が飛び交う中、今だ、と万感の思いを込め釣り上げた。
ぴちぴちと音を立てながら宙を舞う我がニジマス。
彼方より美しい弧を描いて小生の手元に手繰り寄せる。
まるで遠近法が無視されたように近づいてきた獲物。
その大きさたるや。
5cm。
(∵)
仲間全員が↑のような顔になった。
「凄いよ。ある意味」「お、おめでとう」と仲間より目を合わせない賛辞、
どこかためらいがちな祝福の嵐を受けた。
天邪鬼な小生はとても素直に喜べなく、
「大きくなれよ」とそっとリリースしてやった。
いつ竜宮城に招待されるか待ち遠しいのである。
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先日、全裸事件で世間は大騒ぎの影で
ボルダリング大会に素人が出場という暴挙が行われた模様
―AP通信―
ジム行く毎に「参加登録は○日までですからね」と言はれ、
「え、出ないんですか」「みんな出てますよ」につられ出場の申し込みを
してしまった小生。
ああ悲むは日本人の習性なり(詐欺に引っ掛かりやすいタイプである)。
全国各地で行われてきた今大会、第6戦目になるらしいのであるが、
今期最多の参加者という凄まじき盛り上がりの様相を見せたが
小生自身は凹み下がった。
分かっていたことだが小生の結果は目も当てられぬ惨状なり。
最下位では無かったのがせめてもの救いであった。
このクラスの参加者多すぎ、時間が少ない、とか言い訳を云ったところで
結果は変わらなひだらうに愚痴りたくなるうじうじした小生であった。
大会には日本が世界に誇るクライマー、平山ユージ氏と
小山田大氏が。さらにすぺさるげすとで
渡邊数馬氏、安間佐千氏、先日加須のWCで優勝された野口啓代嬢の
御三方も来場され、エキスパート級でセッションされた。
やはりプロはすごいのぅ、と高みの見物の小生(ビギナー級の下位)は感服した。
コンペ後のイベントで再び盛り上がった後、平山氏、小山田氏に
サインをして戴き、なおかつ握手までをもして戴いた小生、
結果の無念も吹き飛ぶ有頂天であった。
気さくな両氏の手は大きく、厚く、力強さを感じさせられた。
男子たるものかくありたいものだ。
翌日、大会時に出来そうで出来なかった
課題に再度挑戦したら普通に登れた模様
―ロイター通信―
小生、本番に弱いという要りもしない無駄に輝かしい才能を持って
生まれた事をこれほど恨んだことはなきにしもあらず。
これが当日出来てれば10は順位が違ったといふのに。
後の祭り也。
ジャンル:日記 テーマ:ひとりごとのようなもの
2009⁄04⁄28 23:39 カテゴリー:未分類 comment(0) trackback(0)
ボルダリング大会に素人が出場という暴挙が行われた模様
―AP通信―
ジム行く毎に「参加登録は○日までですからね」と言はれ、
「え、出ないんですか」「みんな出てますよ」につられ出場の申し込みを
してしまった小生。
ああ悲むは日本人の習性なり(詐欺に引っ掛かりやすいタイプである)。
全国各地で行われてきた今大会、第6戦目になるらしいのであるが、
今期最多の参加者という凄まじき盛り上がりの様相を見せたが
小生自身は凹み下がった。
分かっていたことだが小生の結果は目も当てられぬ惨状なり。
最下位では無かったのがせめてもの救いであった。
このクラスの参加者多すぎ、時間が少ない、とか言い訳を云ったところで
結果は変わらなひだらうに愚痴りたくなるうじうじした小生であった。
大会には日本が世界に誇るクライマー、平山ユージ氏と
小山田大氏が。さらにすぺさるげすとで
渡邊数馬氏、安間佐千氏、先日加須のWCで優勝された野口啓代嬢の
御三方も来場され、エキスパート級でセッションされた。
やはりプロはすごいのぅ、と高みの見物の小生(ビギナー級の下位)は感服した。
コンペ後のイベントで再び盛り上がった後、平山氏、小山田氏に
サインをして戴き、なおかつ握手までをもして戴いた小生、
結果の無念も吹き飛ぶ有頂天であった。
気さくな両氏の手は大きく、厚く、力強さを感じさせられた。
男子たるものかくありたいものだ。
翌日、大会時に出来そうで出来なかった
課題に再度挑戦したら普通に登れた模様
―ロイター通信―
小生、本番に弱いという要りもしない無駄に輝かしい才能を持って
生まれた事をこれほど恨んだことはなきにしもあらず。
これが当日出来てれば10は順位が違ったといふのに。
後の祭り也。
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2009⁄04⁄28 23:39 カテゴリー:未分類 comment(0) trackback(0)
エクストリーム(extreme)…過激な
小生がふにふにと行っているボルダリング、エクストリームスポーツなる類に属するそうで。そんな過激、危険な要素なぞ微塵も…なきにしもあらずか。結構なちょ…おま…なムーブを要求されるものもある。なおかつ屋外、岩場で行おう日にはクラッシュパッドを敷くとはいえ大きな怪我の危険性は否めない。屋内とはいえ、ののほんと登って飛び降りてる己に感嘆である。
さてそのエクストリームスポーツに分類される競技、モトクロス、ベースジャンプ、スノーボード、フリークライミング、ウインドサーフィン、パルクール等、一々納得な離れ業、危険と隣り合わせなイメージが窺える。しかし。その中で異彩を放つ競技がある。
小生、TV番組(政治家並に覚えてない)にてこのスポーツの存在を知ったのであるが、一見した時の衝撃は1、2年前だったにも関わらず30年物のトースターが現役の我が家で唯一最先端をひた走る地デジ液晶テレビ君の映像の如く鮮明に残っている。
あ、ありのまま今起こった事を話すぜ!河川敷にアイロン台が置いてあると思ったら遠くから人が走って来て飛びながらアイロンを掛けたんだ!超スピードとか以下略
と一部で有名な仏人の言葉を借りると上記のような映像が流れたのだ。
それがエクストリーム・アイロニングであった。
エクストリーム・アイロニングとは、人里離れた場所でアイロン台を広げて服にアイロンを掛けるエクストリームスポーツである。 −Wiki参照―
アコングア(6959m)の山頂でアイロン掛け、海の底でアイロン掛け、フルマラソンしながらアイロン掛け(完走)、スカイダイビングしながらアイロン掛けetc…
イギリスで始まったスポーツだそうだが、何故、極限の状態でアイロン掛けをしようと思ったのか小生には分からない。分からないが気になる、インパクトで御釣が来るスポーツである。本当にオリンピック競技になったら世界的な競技祭典に全く興味のない小生も釘付けになるであろう。
ボルダリングで擦り傷、手の皮が剥けたとかの危険でも十分すぎる小生、さらに色んな面で危険性が絡む競技には手は出さない。ぬくぬくと見守るのみである。
2009⁄03⁄17 00:00 カテゴリー:戯言 comment(0) trackback(0)
小生がふにふにと行っているボルダリング、エクストリームスポーツなる類に属するそうで。そんな過激、危険な要素なぞ微塵も…なきにしもあらずか。結構なちょ…おま…なムーブを要求されるものもある。なおかつ屋外、岩場で行おう日にはクラッシュパッドを敷くとはいえ大きな怪我の危険性は否めない。屋内とはいえ、ののほんと登って飛び降りてる己に感嘆である。
さてそのエクストリームスポーツに分類される競技、モトクロス、ベースジャンプ、スノーボード、フリークライミング、ウインドサーフィン、パルクール等、一々納得な離れ業、危険と隣り合わせなイメージが窺える。しかし。その中で異彩を放つ競技がある。
小生、TV番組(政治家並に覚えてない)にてこのスポーツの存在を知ったのであるが、一見した時の衝撃は1、2年前だったにも関わらず30年物のトースターが現役の我が家で唯一最先端をひた走る地デジ液晶テレビ君の映像の如く鮮明に残っている。
あ、ありのまま今起こった事を話すぜ!河川敷にアイロン台が置いてあると思ったら遠くから人が走って来て飛びながらアイロンを掛けたんだ!超スピードとか以下略
と一部で有名な仏人の言葉を借りると上記のような映像が流れたのだ。
それがエクストリーム・アイロニングであった。
エクストリーム・アイロニングとは、人里離れた場所でアイロン台を広げて服にアイロンを掛けるエクストリームスポーツである。 −Wiki参照―
アコングア(6959m)の山頂でアイロン掛け、海の底でアイロン掛け、フルマラソンしながらアイロン掛け(完走)、スカイダイビングしながらアイロン掛けetc…
イギリスで始まったスポーツだそうだが、何故、極限の状態でアイロン掛けをしようと思ったのか小生には分からない。分からないが気になる、インパクトで御釣が来るスポーツである。本当にオリンピック競技になったら世界的な競技祭典に全く興味のない小生も釘付けになるであろう。
ボルダリングで擦り傷、手の皮が剥けたとかの危険でも十分すぎる小生、さらに色んな面で危険性が絡む競技には手は出さない。ぬくぬくと見守るのみである。
2009⁄03⁄17 00:00 カテゴリー:戯言 comment(0) trackback(0)
ボルダリングをご存じであろうか。
フリークライミングの一種で2〜5mほどの岩、壁を登る競技である。
室内(クライミングジム)では壁に取り付けられたホールドという突起物を伝い、ゴール(頂上)を目指す。
ただ登る、という単純な行為であるが指定されたルートを伝うのにどのように動けば
登攀できるのか事前に考える必要があり、肉体だけでなく意外と頭も使う、なかなか奥が深いのものである。
年頭から小生、新しき趣味としてそのボルダリングを始たのである。
たまに山登りをしているので、その延長のようなものである。
きっかけとなったのが新年明けまして会であり、その会に於いて
「貴君は年末は何してたのかね」と先輩が尋ねるので
「小生は耐えがたい衝動に駆られて山に登って参りました」
「何、貴君は山登りが趣味か」
「趣味というよりもそこに山があるから登るのです」
「うむ、それでこそ日本男児である。ところで○駅の辺りにクライミングジムがあるのを知っておるか」
「存在は知っております。小生の好奇をくすぐるものがあるのです」
「なら、くすぐられにいって」
と麦酒350ml×24に呑まれ目が正坐なされた我が先輩の言に小生、快く承諾をしたのである。
親友の命を救うために走るメロスの如き使命を帯びた小生、ジムの門をクライミング体験という形で潜った。レンタルのクライミングシューズを穿き、軽い説明を受けたののち、「さあいざ登らん」と雄々しく立ちはだかる壁に挑むのであった。
翌週にはシューズ、チョークバッグ、チョークを買い揃え、再び門を叩いた小生が現在に至る次第。
難易度はそろばんの級と同じく、10級が最も易しく、1級、初段となるとスタートを切るのさえ至難となる方式である。ただし、同じ級でも登る壁の角度により恐ろしく変化をする。
目下、小生は95〜100度の壁で修行中である(幾度か135度の壁というかリーゼントの如き突き出しに挑戦したが、敢え無く散る確率の方が多し)。
5級辺りまではふんふんと力任せに登ることは出来るのであるが、4級を超えると体の剛だけではなく頭の柔も必要となり、とたんに行き詰るのである。
小生、丁度その辺りでシューシュポスもかくやと登っては落ち登っては落ちを余儀なくされているのである。
しかし、失意の三井寿に安在先生が現れるように小生にも心優しき先人たちの助言やお手本、突然にロマサガの如き閃きが起こるというイベントが発生(残念ながらフラグの立て方は不明である)し、するりと登攀できるようになるのである。
その時の気分は山の頂に立ち下界を見渡したかのようであり、自分で自分を称賛である。脳内カーニバルである。
そうして味をしめた小生は餌付けされた猿のように喜々として次のルートを目指すのである。
ジャンル:日記 テーマ:ひとりごとのようなもの
2009⁄03⁄07 01:01 カテゴリー:戯言 comment(0) trackback(0)
フリークライミングの一種で2〜5mほどの岩、壁を登る競技である。
室内(クライミングジム)では壁に取り付けられたホールドという突起物を伝い、ゴール(頂上)を目指す。
ただ登る、という単純な行為であるが指定されたルートを伝うのにどのように動けば
登攀できるのか事前に考える必要があり、肉体だけでなく意外と頭も使う、なかなか奥が深いのものである。
年頭から小生、新しき趣味としてそのボルダリングを始たのである。
たまに山登りをしているので、その延長のようなものである。
きっかけとなったのが新年明けまして会であり、その会に於いて
「貴君は年末は何してたのかね」と先輩が尋ねるので
「小生は耐えがたい衝動に駆られて山に登って参りました」
「何、貴君は山登りが趣味か」
「趣味というよりもそこに山があるから登るのです」
「うむ、それでこそ日本男児である。ところで○駅の辺りにクライミングジムがあるのを知っておるか」
「存在は知っております。小生の好奇をくすぐるものがあるのです」
「なら、くすぐられにいって」
と麦酒350ml×24に呑まれ目が正坐なされた我が先輩の言に小生、快く承諾をしたのである。
親友の命を救うために走るメロスの如き使命を帯びた小生、ジムの門をクライミング体験という形で潜った。レンタルのクライミングシューズを穿き、軽い説明を受けたののち、「さあいざ登らん」と雄々しく立ちはだかる壁に挑むのであった。
翌週にはシューズ、チョークバッグ、チョークを買い揃え、再び門を叩いた小生が現在に至る次第。
難易度はそろばんの級と同じく、10級が最も易しく、1級、初段となるとスタートを切るのさえ至難となる方式である。ただし、同じ級でも登る壁の角度により恐ろしく変化をする。
目下、小生は95〜100度の壁で修行中である(幾度か135度の壁というかリーゼントの如き突き出しに挑戦したが、敢え無く散る確率の方が多し)。
5級辺りまではふんふんと力任せに登ることは出来るのであるが、4級を超えると体の剛だけではなく頭の柔も必要となり、とたんに行き詰るのである。
小生、丁度その辺りでシューシュポスもかくやと登っては落ち登っては落ちを余儀なくされているのである。
しかし、失意の三井寿に安在先生が現れるように小生にも心優しき先人たちの助言やお手本、突然にロマサガの如き閃きが起こるというイベントが発生(残念ながらフラグの立て方は不明である)し、するりと登攀できるようになるのである。
その時の気分は山の頂に立ち下界を見渡したかのようであり、自分で自分を称賛である。脳内カーニバルである。
そうして味をしめた小生は餌付けされた猿のように喜々として次のルートを目指すのである。
ジャンル:日記 テーマ:ひとりごとのようなもの
2009⁄03⁄07 01:01 カテゴリー:戯言 comment(0) trackback(0)
服飾において、「物は言いよう」に小生、少々感心したのである。
例を挙げれば少々前の話であるが「水玉模様」と「ドット柄」。
双方とも同じ模様を指すのだが、前者から受ける印象は古い、ダサい。
後者は今時感、御洒落。
「ブ〜。これは玉じゃありません〜。点ですぅ〜」と小学生の言い訳のような
大人げなく、かつ他愛無い変異にも関わらず(勿論個人差はあるであろうが)
小生は上記のように感じたのである。
「ジャンパー」と「ブルゾン」も然り。
こちらも英語から仏語に変えただけのコロンブスの卵的表現である。
イメージ的にハローよりボンジュールの方が御洒落感はある、と
発起人は思ったに違いないと小生は固く信じている。
そして小生がこれは秀逸だと感じたもの。
それが「レインブーツ」である。
さっぱり一切の感情を捨てて事務的にバッサリ端的に言うと「ゴム長」である。
海の男の戦友、朝の築地市場の足元を支え、日本の農を縁の下で支え、
蛇の目で迎えに来る母を待つ幼子の足を守るあのゴム長である。
スペックは素晴らしい。だが大人になるにつれ、特に婦女子には敬遠される
あのゴム長も「レインブーツ」という新たなる称号を与えられると彼(?)の運命は
180度変わったのである。一般人から時の人である。歩からト金である。ホームレス
から億万長者である。弓で射られたらスタンド使いである。
「物は言いよう」である。
勿論、外見も味気ない用途本位のものから、本来の用途に使っていいのか疑問を
呈するようなデザインになったのも多分にあるだろうが、言い方の違いでこの雲泥の
差となるのは事実である。
そこで思った。
小生もナエではなく、もっと別の、御洒落な呼称に変えたら人生上向きになるのだろうかと。
宝くじ一枚で3億円当たるのかと。
砂漠で遭難したら油田発見なのだろうかと。
のちのスピードワゴン財団なのかと。
早速真剣に考えてみようとメモ帳に羅列してみたがに久方ぶりに文字を書いたので間違えてしまった。普段は消去の4番、バックスペースキーに頼りっきりであるが、此度はケシゴム界の4番に協力を仰いでみると淀んだ気持ちを一掃するように奇麗に黒鉛を消してくれた。
やはりMONOはいいようである。
ジャンル:日記 テーマ:ひとりごとのようなもの
2009⁄02⁄17 23:25 カテゴリー:戯言 comment(0) trackback(0)
例を挙げれば少々前の話であるが「水玉模様」と「ドット柄」。
双方とも同じ模様を指すのだが、前者から受ける印象は古い、ダサい。
後者は今時感、御洒落。
「ブ〜。これは玉じゃありません〜。点ですぅ〜」と小学生の言い訳のような
大人げなく、かつ他愛無い変異にも関わらず(勿論個人差はあるであろうが)
小生は上記のように感じたのである。
「ジャンパー」と「ブルゾン」も然り。
こちらも英語から仏語に変えただけのコロンブスの卵的表現である。
イメージ的にハローよりボンジュールの方が御洒落感はある、と
発起人は思ったに違いないと小生は固く信じている。
そして小生がこれは秀逸だと感じたもの。
それが「レインブーツ」である。
さっぱり一切の感情を捨てて事務的にバッサリ端的に言うと「ゴム長」である。
海の男の戦友、朝の築地市場の足元を支え、日本の農を縁の下で支え、
蛇の目で迎えに来る母を待つ幼子の足を守るあのゴム長である。
スペックは素晴らしい。だが大人になるにつれ、特に婦女子には敬遠される
あのゴム長も「レインブーツ」という新たなる称号を与えられると彼(?)の運命は
180度変わったのである。一般人から時の人である。歩からト金である。ホームレス
から億万長者である。弓で射られたらスタンド使いである。
「物は言いよう」である。
勿論、外見も味気ない用途本位のものから、本来の用途に使っていいのか疑問を
呈するようなデザインになったのも多分にあるだろうが、言い方の違いでこの雲泥の
差となるのは事実である。
そこで思った。
小生もナエではなく、もっと別の、御洒落な呼称に変えたら人生上向きになるのだろうかと。
宝くじ一枚で3億円当たるのかと。
砂漠で遭難したら油田発見なのだろうかと。
のちのスピードワゴン財団なのかと。
早速真剣に考えてみようとメモ帳に羅列してみたがに久方ぶりに文字を書いたので間違えてしまった。普段は消去の4番、バックスペースキーに頼りっきりであるが、此度はケシゴム界の4番に協力を仰いでみると淀んだ気持ちを一掃するように奇麗に黒鉛を消してくれた。
やはりMONOはいいようである。
ジャンル:日記 テーマ:ひとりごとのようなもの
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